実家を離れても月1で帰省すると決めた理由〜死を意識する〜
死を意識する
そんなの無理だ。
例えば、大学卒業するまで実家暮らしで就職と同時に一人暮らしを初めるとした
両親や家族と顔を合わせるのはあと何回だろうか。
実家暮らしならば、これまで嫌という程毎日会っていたはず。私も何度一人暮らしをしたいか懇願したことか。
ただ、一人暮らしの話を聴くと実家の良さも知る。そりゃそうですが。
それを痛いほど感じれるのが、実際にしてみた時だ。
その時初めて、当たり前が当たり前じゃないことに気づく。
夜中に帰宅すると、私のためによそわれた冷めたご飯がテーブルの上に置いてあること。
寝ているけど、家族という存在が家のどこかですやすや穏やかに眠っていること。
たまに夜遅くまで起きてること。
朝起きたら、私のために朝ごはんが用意されていること。
おはようおやすみと交わす挨拶は、顔を合わすことが減ったから変な時間になること。
そういえば、あと何度おはようやおやすみを言えるんだろうって考えると。
長期休みだけに会うとしたら、
5日×2回/年×20回/人生=200回?!
1年も会えない計算になる。
そう、お父さんお母さん、ましてやお爺ちゃんお婆ちゃんの寿命は私たちの命より短い。
今一緒に居れる時にいないと後悔する。死んでからじゃ遅い。タイミングってすごく難しいけど、伝えられるうちに伝えないと。
当たり前だと思っていたことが、消えた時、やっとわかる。
消えないと分からない。経験してないから。でも想像はできる。
私たちは、反射で生きる爬虫類でもない。愛は動物にもある。私たちが大切に育てるべきは想像力ではないか。