うおおお  って生きる

見たこと、聴いたこと、感じたこと、思ったこと。ストーリーよりインスピレーションで。

怒るっていけないことですか〜原動力は綺麗なものじゃなくていい〜

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最近、何万年ぶりだろうと思うほどに、イライラ愚痴爆発噴火しました。笑

  

負の気持ちが炸裂してるなので、大丈夫な方だけ進んで下さい。

 

 

本当に信じられない。ふざけんな、いやまじで。

解決策出したいはずなのに、なんかもう、どうしようもない怒りが収まらなくて、声がどんどん大きくなるし、感情的になって、終いには涙が出てきて。。。


自分でもびっくりした。

あれ、こんなに溜まってたんかって。

そう言う言い方ないよね、自己中すぎ。わがまま。子供かよって一緒にされる子供がかわいそうや。周り見ろよ、目の前の人が発言した真の理由汲み取ろうとしてますか。浅はかすぎる。もうそれいじめやん。いい歳こいて弱いものいじめですか。いえ、自己防衛のつもりなんですよね。でもそれ自分を苦しめてるだけですよ。

 

どこにプライドかけてんだよ。
何のためにやってんだよ。
誰のためにやってんだよ。
どうでもええことにいちいちエネルギー使うなや。


仕事ができる出来ないとか、そういう問題じゃない。出来ないなら、出来させてあげればええやん。育ててあげればええやん。それは巡り巡って自分に返ってくるんだよ。あまりにもtake&giveすぎる。でもそうやって誰かにされてきたからそうしてしまうんですかね。焦ってるんだよね、不安なんだよね、だから目先のことしか見えなくて余計不安になってキャンキャン吠えるんだよね。あーもうどうしようもないんでふかね。遺伝子レベルでの衝撃がないと変われないって本当なんですかね。

 

 

自分のことしか考えてない人といると異常にストレスを感じるようです、私は。その人の問題だから、どうでもいいけど、できるならその人に考え方改めてもらって、周りの人を幸せにしてほしい。あんたの大切な人たちを悲しませないでくれ。

 

 

そういえば思い出した。思い出したくもないけど、思い出そうとしても思い出せないこと。

 

私の原動力は、過去の悲しみを2度と繰り返したくないという怒りと悲しみかもしれない。優しさの根源は、悲しみとの決別ってこういうことなのか。

 

怒ってる人見ると嫌な気分にやるし、怒るの好きじゃないから、怒らないようにしてたけど、自分キモいわ。みんな人間だもん。 怒りや憎しみ僻み嫉妬、神様仏様じゃないから持ってる。それを押し込めて消し去ることなく、解放してあげよう。向き合い方を学ぼう。

 

闇を開く鍵は、怒りかもしれない。

闇開き〜消し去った記憶にヒカリをあてる〜

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タイトル:闇開き〜消し去った記憶にヒカリをあてる〜

 

...ヤミビラキ

 

ふぁ~タイトルすごいですねえ笑

今日も 感じることをね、つらつらと。

 

 

昨日紹介したアサーショントレーニングを知ってから、相手に伝えられないのは自分のせい、寛容になれない自分が弱いのがいけない等、今思うと思考が偏っていたなあと思います。笑

 

というのも、昨日何万年ぶりだろうと思うくらい怒り爆発しました。。。

自分でもこんなに溜め込んでいたのかとびっくりするほどに。笑

 

そういえば、だいぶ前から寛容になろうとして、愚痴とか言わないように言わないようにって思ってました。だから、目を背けてた。口封じして、自分の内や奥底に押し込めて葬り去ってた。無かったことにしてた。

で、放っておいたら、自分でも気づかないうちに心を蝕んで体も蝕んでた。

 

みんな闇虫を抱えている。

 

吐き出し方がわからない。

 わかってたはずなのに大人になろうとして抑えつけて、、、存在すら忘れてた

 

それはきっと、これ以上傷付きたくないから、その過去を忘れようと努力して、記憶から消し去ろうとすることだろう。つもりだった。

 

弱虫だって思われたくなくて、負けだと思って、、、

 

あぁ、これ、ただの劣等感の塊だ。

 

誰しも不完全な人間。

支え合ってやっと生きていける。

 

私は神様を目指していたのかもしれない。綺麗でいよう、寛容でなければならないという思い込み、枠、固定概念に捕らわれていた。そんなもの辞めて、汚いと思う感情も全部そのまま吐き出す(叫ぶ・ひたすらきいてもらう)ことが必要だったんだな〜〜と。

 

本音で生きる〜 八方美人からの脱却〜

今の私の原点。

 

アサーショントレーニング

 

今まで、嫌われるのが怖くて八方美人してたけど、我慢するの辛くて面倒になって、いつか爆発するんじゃないかって不安と向き合いながら、過ごしてた。

 

小学生の頃、友達と遊ばない日はいつも放課後は母と夕飯の準備しながら、今日あった嬉しいこと、びっくりしたこと、面白かったこと、イライラしたこと、愚痴もぜーんぶぜんぶ話してた。

 

私の祖父は食事の際、何にでも塩を沢山かけて食べる。特に白飯の時は、どちらも白いので目が良くない祖父はどれだけ塩がかかっているかわからない。だから、隣に座ってる私が毎回「塩かけ過ぎだよー」と言う。その度に、口喧嘩していた。笑

そんなある日、母に勧められたのがこの本。

 

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自己表現には3つのタイプがある

(1)非主張的(ノン・アサーティブ)

自分の気持ちや考えを表現しなかったり、曖昧にした言い方
(2)攻撃的(アグレッシブ)

自分の考えや意見ははっきり言いますが、自分の言い分を相手に押し付ける言動
(3)アサーティブ

自分の意見を率直に正直に言う表現

 

それまでの私は、家では攻撃的、学校では非主張的だった。アサーティブを日本語に訳せないように、日本にはない言葉のようだ。

 

アサーショントレーニングって何?

アサーション〈自己表現〉トレーニングとは、自分も相手も大切にした自己表現を身につけていくトレーニングです。
アサーションでは、自分の気持ち、考え、信念等が正直に、率直にその場でふさわしい方法で表現されるコミュニケーションを目指します。
その結果葛藤を起こす場面もありますが、その葛藤に対してお互いを思いやった歩み寄りを行う場面の練習を行います。

 

昨日、書店で少しデザインの変化した改訂版を見つけて、とても懐かしくなった。

 

今本屋に並んでいる改訂版のアサーショントレーニングの帯には、

日本のアサーショントレーニングはここから始まった

なんだかぶわぁぁと感動。

 

お母さん、ありがとう。。。 

私がアサーショントレーニングを始めたのは、9歳くらいだっただろうか。

もし今あなたが人間関係で悩んでいたらストレスを感じているなら、読んで頂きたい。

 

ちなみに、漫画で読むバージョンもあります。読みやすい。

 

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体がついてこない〜心と体が解離している〜

“あなただけの体じゃないんだから、大切にするんだよ”

 

そう言ってもらえるのは嬉しいけど、

“まだ大丈夫”

 

頑張り屋、努力家のあなたなら、一度は言われたことのあるセリフじゃありませんか?

 

大丈夫なのは気持ちですか?体ですか?

根性論掲げて、”つもり”になってませんか?

 

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ぐでーん。笑

うぅ、可愛い。。

 

あなたは、あなたが思ってるほど丈夫じゃないかもしれなくなくもない

 

たしかに今が頑張りどきかもしれないし、あなたより努力している人も沢山いるかもしれない。

 

でも、その歩みを止めたくないでしょ。

それなら、明日のあなたのために安らぎを与えてあげて下さい。

 

と言っておきながら、休めないのが私です。だから、気持ちよーーく分かります。

私はギリギリまで詰め込んで潰れました。

壊れてもなお詰め込もうとしました。甘えとか根性ないとか弱いとかそういう風に言われるの嫌で悔しくて。

 

周りに休め休めって言われてやっと休みました。ぼーとする時間沢山とりました。でも、拭えない抜け殻感。全力で走りたい。我武者羅になりたい。寝たいのに眠くならない。あぁ、これおかしいな笑って焦り、

休んでるはずなのに、不調が続くしまるで、心と体が解離してるよう。

 

みんな

“自分の”ストレスの原因探さないと。ね!

見つけ方分からないから、とりあえず、これだろうって思うことを排除してみる。笑

地道に試してみるしかない。

ほら、見つかる。

 

 

㊗️!毎日投稿21日目!!21日続けたら習慣になると聞いたのでやってみましたーー。ストレッチ以外に続けられたの久々。よく頑張った!笑

 

優しさって何。part.2~人は優しさがないと死ぬ~

一昨日は、「優しさの根源」についてのブログをシェアしました。思ったよりも反響があったので、なるほど~と感心していました。(シェアした記事は私が書いたものじゃない笑)

 

この記事の筆者は、優しさは悲しい経験を乗り越えた強さと言ってましたね。いつもより反響があった。

 前回紹介しきれなかったもう1つの記事がこちら。

 

東京女子医科大学の仁志田博司さんの資料「やさしさの根源」です。

とても面白いです。おぞましい実験が紹介されています。。。

 

 

以下引用です。

1. やさしさとはなにか
テ レビのコマー シャルに、 「強 くなければ生 きてゆけないが、優 しくなければ生 きてい く 価値 がない。」 という台詞があるが、実は 「やさ しさ」がなければ人は生 きて行けないの である。中世 ドイヅでのおぞましい実験であるが、孤児の一群を保母が優 しさをもって養 育 し、他方の群の孤児 は機械的に食事 を与えて養育 した ところ、後者の児はなんと全員死 亡すると言 う結果 になったのである。それは人間はDNAに 書き込 まれた本能 という情報だ けでは生 きて行けない生 き物であ り、他から与えられ る愛情や優 しさと言 う情報が生 きて い く上に不可欠な事の証明である。 「人」 という字はふた りが寄 り添い支え合っている象 形であ り、 また 「人間」 とは漢音で 「じんかん」と読み人は他者 との共生関係な しには生 きられない存在である事 を意味する。その人 と人の間 「じんかん」を取 り持つグルーの よ うなものが 「優 しさ」であ り、それは人が生 きて行 くための環境である人の輪 としての社 会を型造 る根元的なものなのである。


2.人はいかにして優 しさを学ぶか。
イン ドで狼 に育て られた双児の兄弟が発見 され、その後人間に育て られたが社会性 を身につける事 は終生できなかった事が記録 されている。また母親の愛情を受けずに育て られた子供 は、母親のみならず他人 との交流が出来ず感情のない能面のような表情になる事が知 られている(愛 情遮断症候群)。 これ らのことから、社会で生 きる上に最 も大切な優 しさは幼児期に学ぶものであり、しかもその時期は感受性が高い特別な時期(感応期)で あ り、一生の優 しさの形成の土台 とな る事が知 られるようになった。
人は育 まれ優 しさを学ぶ。育む とは 「羽含む」を語源 とし、鳥がひたす ら卵 を抱 き自分の 体温で暖める姿である。人類は知性 を獲得 した代償 として未熟性 を持 って出生するところから、6ヶ 月以上の長きに渡 って母親の胸 に抱かれ・その乳を吸わなければ生 きられない 哺乳動物である。それは鳥が卵を抱 く姿 となんら変わらない。そこには子供 に対する投資的な打算はな く、只ひたす ら体温 または母乳 と言う愛情(agape)を 注 ぐのみである。その ことによって、子供はこの世の中に絶対的に自分 を愛 して くれ る人がいる事を心の中に焼きつける。それが優 しさの根源 とな る。


3. 優 しさがなぜ社会を型つ くるグルー となるか。
この世界はすべて連続 であ る。時間 も空間もさらにクオー クの レベル まで考えれば物質 までも連続 である。 同様 に人間 と他の動物のみならずアメーバ に至 るまで共通の分子生物 学的約束事がある。さらにはDNAの レベルまで考えれば生命 と物質さえも連続なのであ る。今話題の脳死は言 うに及ばず、臓器死、組織死さらに細胞死まで考えれば、生 と死の 狭間さえ連続 と捕 らえる事がで きる。 しか し人はそれ らを生 きる知恵 として不連続 にとらえている。(連 続と不連続の考え)

 

人は一人一人全て異なっている。それは遺伝情報であるDNAが 異なっている以上にその遺 伝情報を賦活する環境が異なっているか らである。 しかしすべての人は基本的な生命体 と しての情報は99%以 上同 じものを有 してお り、知的障害においても身体的障害において もどこから正常で どこか ら異常かを明確に分ける事は出来ない。さらに人の一生を考 えれ ば、弱い赤ちやん として生 まれ、必ず弱い老人にな り、 またいつ紙一重で障害者になるか もしれない事を考えれば、人は各々異なっているが、 自分 と他人の連続性 を感 じざるをえ ない。 しか し社会の機能を保つためには、命令 し指導する人 とそれに従う人のように、ま た社会生活 をし得ない障害者 と健常人のように、人 も不連続 に捕 らえなければな らない。
その時に、我 と汝(マ ルチン ブーバーの言うbetween man and man)は 人間(じ んか ん)で あ ることを考えれば、その連続性 に気付 き、ただ切 り捨てるのではな く痛みを感 じ 涙 して一線 を画するであろう。人と人の連続性 を知 る事が思いや りであ り、優 しさを生み 出す源泉 となる。このともすれば摩擦が起こ り得 る人 と人の擦れ合いを、 クッションの ように和 らげそ して結び付けるグルーが優 しさであ る。

 

4. 人間工学における 「やさしさ」とは
工学がそれ を使 う人間にやさ しくあ らねばならぬ とい う考えは、機能すれば よい というレ ベル からの進歩ではある。その 「やさ しさ」は、使い易い(簡 便)の 段階をへて使い手の安全性さ らには車の乗 り心地のような快適を考慮するようになった。はた して、それが人 間工学における本当の 「やさ しさ」であろうか。 「やさ しさ」は 「優 しさ」のレベルに昇 華されなければな らない。 優 しさとは単なる心地 よさとは異な り、 また当然の事なが ら 便利 さとも異なる。実は人類は心地よさと簡便 さを追い求める結果、環境汚染 を含めた袋 小路 に入 り込んで しまっているのである。また、心地よさを求める人間の欲望が、人類の 歴史の争いの大半の源 となっている事実も忘れてはいけない。 優 しさとは思いや りであり、愛情であると考えてみると、人間工学における物 と人の関係 も快適さを超えた概念が 必要となる。
人の優 しさは母親か ら植 え付け られ、 自分と他のつなが りを感 じる事 によって育まれる。 母は愛情 というバ ックボーンで子供 を躾 る。この躾の語源は、和裁の 「仕付け」に由来す ると言われている。すまわち着物に折 り目を付ける事が、社会の基本的な約束事を教える 事に通 じ、共 に身を美 しくするのである。躾の プロセスは心地よさ とは異なる厳 しさを伴 う。 しか しその厳 しさは愛情に裏打 ちされたものである。人と物の関係も単に心地 よさを 求め与える関係から、よ り広いよ り長期的視点 に立 った 「優 しさ」が肝要 となる。文明の名の基 にテクノロジーがそれ を造 り出す人間の予想を超える速度で進歩 して行 く今、この 「優 しさ」の持つ意味をもう一度謙虚に考え直す必要があるのではないだろうか。 

 

お疲れ様です。お読みいただけましたか?とても長いので、太字だけでも十分です。

痛みを感じ涙して一線を画する

てきましたね。前回と似ている視点です。やはり痛みや悲しみから生まれるのでしょうか。ちょっと難しくて、かみ砕けていないんですが、

結局、愛情をもっていることによって、悲しみに対する反応が「優しい」なるってことなんじゃない?

そして、その愛情は、小さい頃の愛されているという実感から?

確かに4歳までの幼児教育が人格形成に大きな影響を与えるってきくけど、4歳で愛情を感じられない人が大人になってからでも優しくなれると私は信じたい。

 

なぜ生きているのか。

純粋な質問です。

どうしてあなたは今、生きているの?

 

なんで?

 

何か考えているのか。

気付いたら生きているのか。

理由があって生きているのか。

目的があって生きているのか。

 

(そもそも生きているとはどう言うことか。むー、これを突き詰めるとキリがないので、ひとまず心臓が動いている状態を生きているとしますね。)

 

生きているのか、生かされているのか。

優しさって何。part.1

優しいって何。

優しさって何。

なに。

なんなん。

 

思いやり同情自己犠牲

それともキレイゴト

価値観の押し付け

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ただ、これは間違いなく美しい。

 

 

優しさ優しさって

よく言うけど

よく分からない。

だからググってみた。

 

キーワード :「優しさ」、「根源」

 

結果 :  優しさの根源 – Genuine Counseling – Medium

 

リンク先の文面全部貼り付けます。要所要所を青字にしてみました。時間ない方はそこだけサラリと。

 

人の優しさの根源とは、悲しみである

良く分からないという人がいるかもしれないので、解説していこうと思います。人は悲しいと感じた時に、大きく分けて2つの選択肢を持ちます。その悲しみで心に傷を負う人と、その悲しみを乗り越える人です。前者はその悲しみを回避したり、その傷口を塞ごうと色々な試行錯誤を繰り返します。後者は自分が受けた悲しみを受け止め、同じ過ちを繰り返さないと決意した人達です。
どんな教育を受けていたとしても、人の中にはそれぞれ芯があります。環境値だけで人の心や性格は形成されません。しかし、生まれ持って優しい人というわけではなく、優しさは経験から来ています。経験の中でも悲しみを負う経験こそが優しさの根源であると考えました。


苦労を知る者が心を知る者
過去につらい経験や、苦労した経験がある人が優しい人かというと、疑問が残ります。つらい経験や苦労した経験だけでは優しさは生まれません。その経験を通して悲しみを知り、それを乗り越えて初めて優しさは生まれてくるのです。つらい経験などをした人で、悲しみを乗り越えることができず、傷つき足を止めてしまった人の成長はそこで止まります。そうすると、今度はその人が誰かを傷つける人になってしまうのです。

そう考えた時、優しさと悲しみは表裏一体であると考えることができるのです。誰かを傷つける人は、誰かを傷つけようと考えているのではなく、自らの悲しみを癒やそうとしています。勧善懲悪の世界ではないので、あまり聞き慣れず不快に感じる人がいるかもしれませんが、物事を突き詰めて考えると傷つける者が必ずしも悪ではないということが見えてきます。

罪を憎んで人を憎まずという言葉は、悲しみを乗り越えた人が発した言葉でしょう。私自身、その言葉を自分の口から発するには恐れ多い、かなり力強い言葉です。この言葉は優しさで満ちています、実際に自分の心が壊れるほどの悲しみを経験した後で、この言葉を言うことが果たしてできるでしょうか、そうなりたいとは思います。


優しさと思いやり
誰かを思いやる気持ちと優しさはほとんど同義です。ただ、誰かを思いやるには自らがその境遇を経験していなければなりません。そうでない思いやりはただの憶測で、恐らくこうした方がいいだろうと推測した行動の結果です。結果として、誰かにとっての優しさになるとするならば、どんな形の優しさも許されるかというとそうではありません。良かれと思ってやったことが、人にとっては迷惑になることがあるのです。
こうした点から優しさを勘違いしている人が多くいます。傷ついている時に優しい声をかけてもらったから、その人は優しいと判断するようなものです。優しさは偽造することができます。偽造された優しさを見抜くことができないのは、本質的にその人の優しさの経験値が少ないからです。ほとんど苦労していない人や、悲しみを知らずに育ってきた人は優しさの経験値が足りず、思いやりに欠けると言われることが多いのではないでしょうか。
自分勝手な人は優しさを知らず、思いやりを持たないために人間関係が希薄で、常にそれがその人の問題となって人生が終焉するまで付きまといます。この人達も同じく過去に悲しみを知る人達ですが、乗り越えることができなかったためにそうなったと考える事が、今の現代社会には必要なのかもしれません。本質的に捉えて、人は皆優しくなることができるのだと考えられるからです。


本当の優しさ
本当の優しさとは辛いと言っている人に優しい言葉をかけたり、誰かの代わりにその人の仕事を請け負ってあげたりすることではありません。本当の優しさとは、人を信じることそのものです。問題がある人を見ると、ついつい手助けしたくなるのは、その人を助けたいという心から来た行動なのか、自分が放っておくことで嫌な気持ちになるから助けようと思って来た行動なのか。その感情がどこから来ているのかを考えることが大切で、それを突き詰めるとその人を信じているかどうかということになります。
自分にはその問題は解決できそうにない、そう思った場合は潔く手を引き、一緒に解決方法を思索してあげることが悩んでいる人へのベストな答えになり得ます。優しい言葉をかけ、同調している限りにおいて問題は解決しないでしょう。本当の解決に向かわせることが、真の優しさです、それを当人が望んだ場合ですが。
最後に
私は自らの優しさを定義することで、自分に何ができるのかを知りました。その答えがカウンセラーであったわけですが、ここに来るまでの道は非常に険しい道のりでした。様々な人の道を見て考え、自分が納得する自分を探し求めたのです。あなたにはあなたの優しさの定義があるでしょう。
その定義に正しい答えはありません。だからでこそ考えていく価値があり、人生をかけて追い求めるに相応しいものなのです。私にできることは限られていますが、私は私の優しさを自分なりに表現していきたい。誰に何を言われたとしても、勇気を持ってこれが私だと言えるようになりたい。

 

この筆者は、優しさは辛い経験をし、その悲しみを乗り越えた人たちが持っていると定義しています。

 

おぉ、確かにそれもそうだなあと。

でも、なんかしっくりこない。

あくまでこの方の考え方。

悲しみだけじゃない気がするんだよなあ。現に優しすぎる人って愛情たっぷりに育てられた人もいるだろうし、それだけじゃないと思うんだよなあ、、

 

明日はもう1つの記事を紹介しようと思います!

 

ふと、優しさの根源とは。

 

悲しみを乗り越えた強さ

 

優しくされたら、優しくしたくなる。

つまり、人からもらった優しさが嬉しかったから優しさ貰いすぎたから余った幸せ分けてあげるよ。みたいな、、、

ん?!