うおおお  って生きる

見たこと、聴いたこと、感じたこと、思ったこと。ストーリーよりインスピレーションで。

優しさって何。part.1

優しいって何。

優しさって何。

なに。

なんなん。

 

思いやり同情自己犠牲

それともキレイゴト

価値観の押し付け

 f:id:yukpurin:20171023202221j:image

ただ、これは間違いなく美しい。

 

 

優しさ優しさって

よく言うけど

よく分からない。

だからググってみた。

 

キーワード :「優しさ」、「根源」

 

結果 :  優しさの根源 – Genuine Counseling – Medium

 

リンク先の文面全部貼り付けます。要所要所を青字にしてみました。時間ない方はそこだけサラリと。

 

人の優しさの根源とは、悲しみである

良く分からないという人がいるかもしれないので、解説していこうと思います。人は悲しいと感じた時に、大きく分けて2つの選択肢を持ちます。その悲しみで心に傷を負う人と、その悲しみを乗り越える人です。前者はその悲しみを回避したり、その傷口を塞ごうと色々な試行錯誤を繰り返します。後者は自分が受けた悲しみを受け止め、同じ過ちを繰り返さないと決意した人達です。
どんな教育を受けていたとしても、人の中にはそれぞれ芯があります。環境値だけで人の心や性格は形成されません。しかし、生まれ持って優しい人というわけではなく、優しさは経験から来ています。経験の中でも悲しみを負う経験こそが優しさの根源であると考えました。


苦労を知る者が心を知る者
過去につらい経験や、苦労した経験がある人が優しい人かというと、疑問が残ります。つらい経験や苦労した経験だけでは優しさは生まれません。その経験を通して悲しみを知り、それを乗り越えて初めて優しさは生まれてくるのです。つらい経験などをした人で、悲しみを乗り越えることができず、傷つき足を止めてしまった人の成長はそこで止まります。そうすると、今度はその人が誰かを傷つける人になってしまうのです。

そう考えた時、優しさと悲しみは表裏一体であると考えることができるのです。誰かを傷つける人は、誰かを傷つけようと考えているのではなく、自らの悲しみを癒やそうとしています。勧善懲悪の世界ではないので、あまり聞き慣れず不快に感じる人がいるかもしれませんが、物事を突き詰めて考えると傷つける者が必ずしも悪ではないということが見えてきます。

罪を憎んで人を憎まずという言葉は、悲しみを乗り越えた人が発した言葉でしょう。私自身、その言葉を自分の口から発するには恐れ多い、かなり力強い言葉です。この言葉は優しさで満ちています、実際に自分の心が壊れるほどの悲しみを経験した後で、この言葉を言うことが果たしてできるでしょうか、そうなりたいとは思います。


優しさと思いやり
誰かを思いやる気持ちと優しさはほとんど同義です。ただ、誰かを思いやるには自らがその境遇を経験していなければなりません。そうでない思いやりはただの憶測で、恐らくこうした方がいいだろうと推測した行動の結果です。結果として、誰かにとっての優しさになるとするならば、どんな形の優しさも許されるかというとそうではありません。良かれと思ってやったことが、人にとっては迷惑になることがあるのです。
こうした点から優しさを勘違いしている人が多くいます。傷ついている時に優しい声をかけてもらったから、その人は優しいと判断するようなものです。優しさは偽造することができます。偽造された優しさを見抜くことができないのは、本質的にその人の優しさの経験値が少ないからです。ほとんど苦労していない人や、悲しみを知らずに育ってきた人は優しさの経験値が足りず、思いやりに欠けると言われることが多いのではないでしょうか。
自分勝手な人は優しさを知らず、思いやりを持たないために人間関係が希薄で、常にそれがその人の問題となって人生が終焉するまで付きまといます。この人達も同じく過去に悲しみを知る人達ですが、乗り越えることができなかったためにそうなったと考える事が、今の現代社会には必要なのかもしれません。本質的に捉えて、人は皆優しくなることができるのだと考えられるからです。


本当の優しさ
本当の優しさとは辛いと言っている人に優しい言葉をかけたり、誰かの代わりにその人の仕事を請け負ってあげたりすることではありません。本当の優しさとは、人を信じることそのものです。問題がある人を見ると、ついつい手助けしたくなるのは、その人を助けたいという心から来た行動なのか、自分が放っておくことで嫌な気持ちになるから助けようと思って来た行動なのか。その感情がどこから来ているのかを考えることが大切で、それを突き詰めるとその人を信じているかどうかということになります。
自分にはその問題は解決できそうにない、そう思った場合は潔く手を引き、一緒に解決方法を思索してあげることが悩んでいる人へのベストな答えになり得ます。優しい言葉をかけ、同調している限りにおいて問題は解決しないでしょう。本当の解決に向かわせることが、真の優しさです、それを当人が望んだ場合ですが。
最後に
私は自らの優しさを定義することで、自分に何ができるのかを知りました。その答えがカウンセラーであったわけですが、ここに来るまでの道は非常に険しい道のりでした。様々な人の道を見て考え、自分が納得する自分を探し求めたのです。あなたにはあなたの優しさの定義があるでしょう。
その定義に正しい答えはありません。だからでこそ考えていく価値があり、人生をかけて追い求めるに相応しいものなのです。私にできることは限られていますが、私は私の優しさを自分なりに表現していきたい。誰に何を言われたとしても、勇気を持ってこれが私だと言えるようになりたい。

 

この筆者は、優しさは辛い経験をし、その悲しみを乗り越えた人たちが持っていると定義しています。

 

おぉ、確かにそれもそうだなあと。

でも、なんかしっくりこない。

あくまでこの方の考え方。

悲しみだけじゃない気がするんだよなあ。現に優しすぎる人って愛情たっぷりに育てられた人もいるだろうし、それだけじゃないと思うんだよなあ、、

 

明日はもう1つの記事を紹介しようと思います!

 

ふと、優しさの根源とは。

 

悲しみを乗り越えた強さ

 

優しくされたら、優しくしたくなる。

つまり、人からもらった優しさが嬉しかったから優しさ貰いすぎたから余った幸せ分けてあげるよ。みたいな、、、

ん?!