流されやすい、ノリがいい、で?
みんなが幸せならなんでもいい。
なんでもいいんじゃない、
きっと逃げている。
考えることから逃げている。
自分と向き合うことから逃げている。
環境のせいにして、狼になって、卑屈で不安になって、周りの優しさ受け入れられなくなって、この前まで切磋琢磨していた仲間はどこか消えて離れていて、気付いたら孤独になって、、、
プライドが高いから?
...負のスパイラルでしかない。
プライド捨て身軽になろう。
正しさだけが正しい訳じゃない。
正しさは時に人をひどく傷つける
正しさを突きつけることは簡単だ
でも、正しさとはこれだとか自分が正しいと誇示することが目的じゃない
今よりも良い状態になること、ゴールに一歩近づくことが目的
そのために”ヒント”としての正しさが必要な時がある
人間は感情を持つ生き物
感情を味方にした方が楽しい、人間としての醍醐味を味わえると思う
なら、利用しない手はない感情のコントロール
要は、ものの捉え方と伝え方
これさえ押さえれば、とりあえず人間としていい感じに生き抜くことが出来るんじゃないかな
正しさ
そもそも正しさなんてみんな違う。
文化も宗教も価値観も礼儀も優しさもおもてなしも愛の定義も
玉虫色
タマムシを載せたら気持ち悪くて開きたくないって人もいるかと思って、シャボン玉にしてみた。そしたら、だんだん人間がシャボン玉のように見えてしまった。色んな色に光って、触れたら壊れてしまう儚い命だ。儚いからこそ輝いて見えるんだろう
傷つけあう世界なんて嫌だ。
本当はもうこれ以上傷つきたくない、傷つけたくない
傷つくのは怖い、胸がぎゅんって痛い
誰かを傷つけるのも、傷ついた姿を見るのも一緒にいるのも苦しい
笑うことも食べることも起き上がることさえも出来なくなる生きる気力が消えてく
そんなことならいっそのこと消えてしまいたい
どうして寄り添おうとしない
どうして分かり合おうとしない
どうして結果や成果ばかりみる
どうして人間性そのものを見ようとしない
どうして否定する
みんなおんなじ母が痛めた腹から生まれた1人の人間だろ
コミュニケーションにおいて、否定からは何も生まれない
こんなこと言ってる私だってまだまだちっさな人間だだけど僻み嫌み嫉妬もそんなもんもうどうだっていいやって
でっかい心でまるっと受け入れて
なかったことにしてしまいたい
そう思ってる
でっかい母ちゃんになりたい
もっと強くなる
もっと。
自信がなくて悩んでいる人は、自信がなくて悩んでるんじゃない②〜口癖が〇〇の人と解決策〜
自信がなくて悩んでる人は、自信がなくて悩んでるんじゃないシリーズ、続編インスピレーション湧きました。
「自信がないんですよ〜」ってよく言ってる人さ、他に口癖ありません?
なんで自信ないの?
わかんないんです〜
ミタイナ。
違います。
考えることと
自分と向き合うことから
逃げている。
じゃあ、どうしようか。
どうしたら自分に向き合えるんだろうか。
1つは、コレ。
だだっ広い大自然に包まれる
昨年の気付きを引用します〜
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【海より山、私食わず嫌い】
先週までフィリピン・セブ島へ行ったり、十五夜に砂浜でヨガをしたり、
海に触れる機会が何かと多いです、最近ほんとに。
だから思ったことがまたあって。
【私食わず嫌い】だった。
海の街在住といえども、
山の方に住んでて海は遠いし、
キャンプ好きな家族で山に沢山行って、
海の経験が悔しくて意地張ってたのか。
(普通に深すぎる謎に包まれた深海とか考えるとやっぱり怖いんだけどね)
最近、やっと気付いた。
海良い。
正直、山より海の方が解放的。
だって視界100度くらいは地平線の空の彼方まで何にもないんだもん。
【山は母、海は父】
山には自然・命を直に感じれる。
それこそ土や草花、木、葉っぱ、木漏れ日、虫、鳥の囀り、川のせせらぎ。
大木に耳を傾ければ、水を吸い上げる音も聞こえる。
色んな何か(なんだろ...)が、包み込んで揺らして癒してくれる。母のよう。守られてる安心感すら感じられる。
海は父のようだ。私の全てを解放し、裸の私。嘘をつけない、問い正してくれるよう。
結論。海が好きになりました。
怖いけど、私がもっと強くなったら好きになれる気がする。
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山は母、海は父。
自信がない人ほど実はプライドが高い。
から、先に言われる前に自分で言って自分自分を守ってる。
弱さに向き合えない。受け入れられない。だから、損得勘定ないただただ受け入れてくれる自然なら大丈夫。
宇宙の中の小さなこの地球から生まれ地球で育った、みんな。
自信がなくて悩んでいる人は、自信がなくて悩んでいるんじゃない〜自信なんてなくていい。〜
自信ないから前に進めない
違う。
自信なくても出来る、進める。
本当にそれ好きなの?
本当にやりたいことなの?
なんでそれやりたいの?
もしあなたが動けなくてその理由に
自信がないと思っているなら
動けない本当の理由はきっとこれ。
失敗が怖い。
だから、自信がないを言い訳にする。
なぜなら、失敗はいけないことだと思っているから。そういう育てられ方をしたから。私も義務教育の中で忠実に育った。だから、毎度「正解」を求めてしまうし、間違ってはいけないという思考癖が抜けない。
私は流されやすい。
私は考えすぎている。
よく言われる。
「もっと自分持って」
「考えすぎないでいいよ」
相手は相手、自分は自分。
自分の人生、自分の信じることを信じればいい。
“失敗が”糧になる。
未来の大きな失敗を防ぐのは、今の小さな失敗。
好きこそ物の上手なれ
とことん打ち込んで全力人生、
あぁ!楽しかった!みんなありがとうまたねって死にたい
昨日、突然中学時代の友人から連絡が入り、2時間だけ話した。昔からの夢だったスポーツ選手になった彼だが、あまり話したことはなかったけど、自分に気付かされることが多い時間だった。どうもありがとう。一皮剥けたらまた会おう!
※写真はもう一度行きたい好きなばしょ。馬ヶ背。そこから見える地球の丸さを体感したい。
興醒めな人と怒りの感情分析
自分のことしか考えない人
自分のことだけ考える人
一文字だけしか違わないこの2つの語は、意味が似てるようで違うように見える。
最近、自分や周りの人の感情の変化を観察するのが好きだと気づいた。笑
「なんで?」が小さい頃からの口癖なので、気になる。
私自身、怒ったり嬉しかったり悲しかったり、ころころ気持ちが変化するので、分析をすると気になってしょうがなくなる。哲学ちっくですネ笑笑
昨日も投稿したけど、久しぶりに怒りが抑えられなくなったので、それについて分析をしてみた。
結論
怒りを受け入れた時に、”悲しみ”という起こる感情である。
たとえば、
友達あるいは信じてた人に時、「は?なんでだよふざけんなよ💢」という怒りが生まれる。反射反応として「怒り」が生まれる。
その後に状況を飲み込み、怒りが消える時起こる感情は「悲しい」ではないか。
図で説明する。できるだけ論理的に。
①ある 傷つく出来事が起こる
②それに対して反射的に「怒り」が起こる
③時間の経過と共に、波立った感情は落ち着き、「悲しみ」がジワリと込み上げてくる
ーーーーーーつづきーーーーーー
④いつまでもかなしみに浸ってはいけないと、悲しみとの決別をする
⑤繰り返さまいと、出来事が起こらないように「優しさ」をクッションにする。
⑥出来事〜悲しみまでのプロセスは、優しさが強くなるほど、忘れようとするほど記憶が薄れて闇と化する
⑦思い出せない闇の形成
※闇は、悲しみやコンプレックスとする。
そして、闇を開く方法は、2つ(今のところ)。
❶闇の元となる出来事に似てる出来事に直面し、似た怒りが沸き起こる。それにより、過去の出来事を思い出す
❷常に慰めを求めていて、「悲しみ」を受け入れてくれる癒しや安心感があるとき