がさつ、鈍感、野蛮、人の姿をした動物が多すぎる件について
※最近、余計に支離滅裂極めてます。話が脱線するのは昔から笑
色んな人に会ったり、話したりしてると感じることがあるんですが、結構こういう人多い気がします。残念ながら。
一方、対義語で思い浮かぶのは、
品がある、品格、上品など。
しな、しな、しなってなんやねん!って突っ込みたくなるほど、普段使わない言葉だなあ。笑
品って簡単に言うならば、
気遣い なんじゃないかなと。
これ、結局、気遣いやと思うんですよね。
なぜかというと、品があると感じる人は
指先まで意識が届いているように見えます。丁寧というのがわかりやすいかも。そして、とても謙虚で、大切な優しいオーラが満ちています。
こうして考えると、品ってめちゃめちゃいい言葉じゃん!と思えてきますね。
なぜ口が3つなのか。笑
調べてみた。
昔、王朝に献上されていた 器物の象形 からきてるみたいですが、よくわかりません。
漢字の成り立ちは奥が深いです。
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ
これまで人間が生き死にを、繰り返す中で受け継がれた知恵が漢字には詰まっていると思います。
漢字の成り立ちを調べてみるのも面白そうですね、人とか!
次は人について考えたこと書いてみます!
重力に逆らって生きる〜新感覚!3秒でできる美しい姿勢のつくりかた〜
※支離滅裂の極みです。すみません🙇♀️
自由自在、
だが、鍛錬しなければそれは叶わない。
特に基礎。体も土台が重要だ。
「重力に逆らうように指先から天井へ引っ張られるやうに」
ヨガでよく言われることだ。(まだ始めてから1年も経っていない)
昨日も共有したが、姿勢を意識しようとするとすごく疲れる。良い姿勢は疲労から遠い存在なはずなのに、何故だか多くの人が勘違いしている。
例えば、「肩を上げて後ろに回し下ろす」と姿勢が良くなるとやって見たことのある人🙋私もその1人だった。やってみると確かに胸や肩のあたりは綺麗に見える。でも、すぐに疲れてしまう…!
背骨や腰、骨盤、さらには内腿まで意識ができているだろうか。
特に座位は、お尻から頭先まで伸びる。
胸を張るというのは、あくまで結果でしかない。
胸を張るから姿勢が良くなるのではなく、姿勢が良くなった結果として胸を張っているように見えるのである。
ここまでは伝わっているだろうか。
視野が狭くミテクレだけを意識しても本質的な改善にはならない。
では、どうするのか。私なりこ土台の作り方を編み出しました。笑
実際、特別運動が得意というわけではない40代の女性も60代の男性、そして、2日前に女子大生2人にも試してもらった。
すると3秒でいとも簡単に楽な美しい姿勢をみせてくれた。
女性も男性も「こんなの初めて!」と喜んでくれたし、2日前の2人なんかは「カルチャーショック!」と驚いて騒いでいたし、私も嬉しくて仕方なかった!
(気になる人は直接私に声かけてください!百聞は一見にしかずなので笑 もちろんコメントでも返事します!)
というわけで、何事も基礎が大切と口酸っぱく言われます。
英語なら、単語と文法。
建築なら、設計図。
体なら、食事。
姿勢なら、軸。
軸。
重心をどこに置くか。物事において本質を見抜く力も鍛えられる気がしています(根拠のない自信があります)。
一昨日共有した記事はこちら!
でも、大切なお腹や腰回りの意識が全くない!!!
ピンポイントでしかない視野の狭い意識にとらわれすぎずに!
全体を客観視しましょう!
〇〇を見失った忍耐に意味はない
明日死ぬかもしれない
一昨日あたり、地震雲らしき雲が多く観測されたそうで、ちょっとビビってます。3日分程度の水や食料を用意してないことに気づきました。せねば。
さて、本題に入ります。
我慢するのは何のため?
何を耐えるかより
何のために耐えるのか
目的を見失った忍耐はただ苦しいだけだ。
意味を見出せないならやめちまえ
命は儚い。
簡単に人は死ぬ。
人生なんて呆気ない。
後悔するのが一番やるせない。
そんなら、”今”に全力になろうや
指先髪の先にまで神経を張り巡らす
ただ、菅原小春さんの踊りは時を止める
個人的に好きな動画載せたいだけ笑
捻くれ者も幸せな人といればなんか幸せが移る
今晩は歌って飲ん話してました笑
楽しかった!お客さんがとても温かかったので嬉しかった!幸せだ!
頭で歌おうとしている私はまだまだ凝り固まってるなあ、かっこつけたがってるなあと悔しかったです。ゔぅ…
ゴスペルは幸せの歌
救いの歌
だから、澄んでいるあの歌が響く空間は
歌う人の周りは良い空気が流れていることが多い。
捻くれ者も、強がりも、そういうでっかい空気に飲まれてそのうち溶かされてまあいいやってどうでもよくなればいいなあ。
だからもっと1人でも多くに届けたい。
芯の強さは、声にあらわれる。
ビブラートは、心を揺さぶります。
まっすぐな声も
腹から声が出るほど、揺さぶります。
そこに眼差しがあるなら、なお伝わる。
だって、目は口ほどに物を言うからね。
だから、声を出すための楽器が体なわけで、
その体のコンディションは姿勢からつくられる。
でも、難しいですよね。自分の体なのにコントロールできないジレンマ。
だからこそ、自分にとことん向き合った時に芯の強さに変わったりするのかも?
今日とてもいい記事見つけたので、シェアします⭐︎私が意識してたことを言語化してくれてます。
さて明日26日19:30よりゴスペルライブです!蒲田駅徒歩2分のアッパーハウスというバル風居酒屋にて!
お時間ある方は是非いらして!!
http://www.upperhouse.jp/event.pdf
実家を離れても月1で帰省すると決めた理由〜死を意識する〜
死を意識する
そんなの無理だ。
例えば、大学卒業するまで実家暮らしで就職と同時に一人暮らしを初めるとした
両親や家族と顔を合わせるのはあと何回だろうか。
実家暮らしならば、これまで嫌という程毎日会っていたはず。私も何度一人暮らしをしたいか懇願したことか。
ただ、一人暮らしの話を聴くと実家の良さも知る。そりゃそうですが。
それを痛いほど感じれるのが、実際にしてみた時だ。
その時初めて、当たり前が当たり前じゃないことに気づく。
夜中に帰宅すると、私のためによそわれた冷めたご飯がテーブルの上に置いてあること。
寝ているけど、家族という存在が家のどこかですやすや穏やかに眠っていること。
たまに夜遅くまで起きてること。
朝起きたら、私のために朝ごはんが用意されていること。
おはようおやすみと交わす挨拶は、顔を合わすことが減ったから変な時間になること。
そういえば、あと何度おはようやおやすみを言えるんだろうって考えると。
長期休みだけに会うとしたら、
5日×2回/年×20回/人生=200回?!
1年も会えない計算になる。
そう、お父さんお母さん、ましてやお爺ちゃんお婆ちゃんの寿命は私たちの命より短い。
今一緒に居れる時にいないと後悔する。死んでからじゃ遅い。タイミングってすごく難しいけど、伝えられるうちに伝えないと。
当たり前だと思っていたことが、消えた時、やっとわかる。
消えないと分からない。経験してないから。でも想像はできる。
私たちは、反射で生きる爬虫類でもない。愛は動物にもある。私たちが大切に育てるべきは想像力ではないか。